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六月は花嫁の季節⑥ [Le premier épisode]

こんなセンスと気概は充分な明口だが、これで体がついていけていたら完璧だったのだろうけれども天は二物は与えても三つ目はくれなかったらしい。明口は所謂中肉中背、データが弾き出す『健康体』の範疇を確実に押さえているのだが、実際の理想的体形に当て嵌めるとやや肉付きがよい、つまり世の女性のうち、服を買うときMにするかLにするか、9号にするか11号にするか必ず迷わなければならない人種、なのだそうだ。明口が自己弁護的にそう言っていた。しかしそれが明口の家政学へのモチベーションであり、挑戦なのだろう。尤も、もっとデザイン業界が日本人体形の変化に気付いて戦後の純日本人体形をした人々は最早少数派であることを改革に掲げるべきなんだとは思うが。
その明口が洋裁の得意な小鳥遊の方に主に目を向けて、言った。
「ドレスを縫って欲しいの」
ドレス。日常に着ない服を指すことが多いドレス。この洋装文化の浅い日本でドレスと言ってすぐに思い付くのは非日常シーンだけだ。舞台に上がる時だけの装い。舞台……人生の舞台である場合も。
「せんせ、何でドレスなんか」
「決まってるでしょ、結婚するのよ」
俺の脇で5℃くらい気温が下がった気がした。無論下げたのは主に蟹江だ。だが蟹江だけでない。無邪気な表情を壊さない小鳥遊も、打掛が縫いたいと言った板垣も、まだ弁当を食っている梶もだ。多分俺も何とか顔色を変えずにいたが、間違いなくすぅっと冷めた。少なからず。
天衣無縫な厚顔さを持つ明口はそれでも気付かない。気付かれても困るけどな。蟹江の無謀な感情が突っ走ってしまわないことを願う蟹江を含めた俺達のスタンスとしては明口がこのくらい鈍くないと困ってしまう。
「……先生が着るんですか。」
この言葉の語尾は質問を意味する上がり調子ではなかった。蟹江が、持ってきた缶コーヒーを飲み干して嘆息のように言ったのだ。そして明口が応とも否とも言う前に立ち上がり、口を開いた。
「小鳥遊、トビー、今日帰りに生地を見に行くぞ。先生、必要なのはドレスだけですか」
「ん、アクセも、テーブル小物もできたら頼みたいなぁ」
蟹江がどんな気持ちかも知らず厚かましいことこの上ない。仕方ないが理不尽さに何か言わないと気が済まない追い立てられるような心持ちになりかけたとき、蟹江が俺を見たのだ。
見た――目配せだ、これは。
黙っていろ、飛永は言う義務も権利もない――ああ、そうとも、蟹江の、蟹江だけの問題さ。だが、この蟹江の目線をやっと食い終わった梶が見ていた。
「先生、終礼までに予算とサイズと希望の方向性、それと納期を出して下さい。六月は中間試験もあるんですからね、キャパシティの範囲内にして下さいよ?」
ここまで冷静になれないと駄目だ。言いながら梶は弁当箱を片付け、細かい刺繍が散らされた弁当包みにさっと包んで立ち上がった。予鈴まであと7分ある。梶に続いて藤原と梧桐が立ち、蘇鉄が立つ。蘇鉄に続いて蟹江が立ち上がったとき、板垣が立ちながら明口に尋ねた。
「先生、自分で縫わないの?」
それもそうだ。明口は家庭科教師だろう?しかし明口は肩を竦めただけだった。
「できればそうしたいけどね」
新婦には新婦なりの忙しさがあるのだろう。しかしいくら忙殺されるとはいえ、もう少し言い方があったのではないかと思う。しかしそれが梶の癇に障ったらしい。梶はもう視聴覚室を出掛かっていたのに態々、それも蘇鉄を押し退けて戻ってきて言った。
「……引き受けますよ、明口先生。但し条件があります。」
「梶」
「おい、梶……」
「蟹江君は黙ってて。日浦君も。お代金は一銭とも負かりません。それと、作った挙式セット一式は式当日使って頂いて構いませんが、すぐクリーニングして一度我々営業課にお戻し下さい」
「えっ?」
これ以上の質問語を吐き出さなかったのは明口の教師のプロフェッショナル精神の賜物だろう。
「秋の文化祭で展示します。勿論文化祭が終わればお渡ししますよ、勿論ね。それが手芸部顧問として当然のスタンスだと思いません?思いますよね」
にんまり笑って梶は今度こそ視聴覚室から去っていった。梶風信子。営業課の鉄面皮。誰よりも仲間を大事にしている女。俺達の歳で言うにはこそばゆい言葉で言えば――仲間を愛している女。そして、計算機とその機転で仲間を守っている。


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